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起業応援団 失敗を恐れずにチャレンジすること。ただし、その前にやるべきことがある。それはいろんな人に会い、話を聞くこと。新しい出会いこそ、ビジネスチャンスです。 株式会社響・株式会社 太鼓屋 代表取締役社長 岩切邦光さん
“痒いところに手が届く”サービス

 短く刈った頭髪に日焼けした顔、半袖のカッターシャツから覗く太い前腕。企業の経営者というよりは、スポーツ選手をイメージさせる屈強な風貌。県内の祭りやイベントに頻繁に登場する人気太鼓チーム「『橘太鼓・響座』のリーダー」といえば、ピンとくる人も多いかもしれない。
 「確かに仕事先で『あの響座の』とか、『太鼓を叩いている人ね』と言っていただくことがあります。太鼓に関連した仕事をやっている以上、プレーヤーとしての経験は貴重ですが、最初から『響座の岩切』で仕事をすると、いいことはありませんね。カラーがつきすぎているがゆえに、そのカラーを自分が打ち破れないことになってしまう。響座の座長でもなく、会社の社長でもなく、一人の人間として接することが大事で、そうすることで初めてお客様の要望に応えられる仕事ができるのだと思います」と語る岩切さん。
 企業家としての岩切さんの歴史は、勤めていた酒造メーカーを退社したときから始まる。農業を営んでいた父親が開いたうどん店の手伝いを始めたのが、26歳のとき。ここでの経験をもとに、乾麺うどんの製造・販売を行う事業を始める。しかし、業績は思うように伸びなかった。「理由はどこにでもある麺であったこと。特長がなかった」と当時を振り返る岩切さん。オリジナリティを出そうと思いついたのが、県産の素材にこだわることだった。そこで椎葉村で伝統的に行われている焼畑農業で作ったそばを乾麺にし、「焼畑そば」として商品化。宮崎県経済連との共同企画で、そばに椎茸、めんつゆ、漬物などをセットにした商品を、土産用として百貨店などで販売した。これが初のヒットを呼んだ。
 「今でこそ増えましたが、当時は商品をセットで売るという発想がありませんでした。また素材にこだわったもの、美味しいものであれば、量が少なくてもお客様は買ってくださる。贈り物の場合それが顕著です。こんなものが欲しいと思っているときにパッと差し出せる、痒いところに手が届くサービスこそ、これからのビジネスでは大事であることを実感しました」
 土産品として開発し、後にラーメン店を開業するまでに人気を集める「宮崎ラーメン」も、コシを強くするために、麺には甘藷の粉を混ぜたものを使用。スープには県産の銘柄豚・ハマユウポークからとったダシを使用するなど、質を高めながら、オリジナリティを出すことに注力した。
 「お客様のニーズに合わせて、最良のものを提供する。ただし押しつけは駄目です。作ってくれてありがとう、買ってくれてありがとうの関係。私たちは100%満足してもらえるものは作れません。50%はお客様が作るものだと思います。お客様の声に応えながら、自分たちもよりいいものを目指していく。お客様との共同作業という点は、商品づくりも太鼓のステージも同じです」

プレーヤーの視点で作る太鼓

 麺や土産品の製造・販売を軌道に乗せることと併せて、岩切さんにはもう一つの目標があった。会社時代に出会った和太鼓をもっと多くの人に叩いてほしい、和太鼓の素晴らしさを伝えたいという夢だ。和太鼓の製造・販売・修理などを行う「太鼓屋」を事業として始めたのは、1992年の頃だ。
 「ほとんど経験がないところから始めた麺づくりの仕事で、何でもチャレンジすればできるという自信がもてるようになりました。それまで練習で太鼓が破れたら、県外に修理に出していて費用も相当なものでした。もし自分のところで修理や製造ができれば、安く済むし、県内のプレーヤーたちにも安値で安定的に提供できる。それは太鼓人口を増やすことにもつながると思いました」
ステージに立つ岩切さん
「響座」のステージに立つ岩切さん。
最高のパフォーマンスを見せるため、
毎日2時間の練習は欠かさないという

 県内にいる桶職人などを訪ねて、和太鼓づくりの技術を学んだ。腕のいい職人には自ら交渉し、専属契約を取りつけた。岩切さん曰く、和太鼓の音は食文化と同じで、その地域によって好まれる音質・音色があるという。その地域にあった和太鼓を作るには、優れた職人の技と同時に、微妙な音を聞き分ける「耳」が必要となる。太鼓プレーヤーとして培った経験がここで活かされた。
 プレーヤーの視点で作られた和太鼓は、程なく評判をよび、県内の多くのチームが太鼓屋の和太鼓を使うようになった。また比較的安価なこともあり、幼稚園や小学校など教育機関での採用も増えるようになった。
 和太鼓を叩くうえで、最もネックになる練習場の確保も地下練習場を備えた社屋を設けることで解決の一助とした。現在、指導員が3名いる太鼓屋では、希望すれば、誰でも和太鼓にふれ、演奏を学ぶことができる。
 「いろんな太鼓があって、思い切り太鼓を叩ける。(太鼓屋は)和太鼓が好きな人が一度は行ってみたいと思うような場所にしたいですね」と岩切さん。まさに“痒いところに手が届く”サービスを、ソフト・ハードの両面から具現化した例といえるだろう。


チャレンジする前にやるべきことがある

 利用者のニーズに耳を傾けながら、自らの体験や感性をもとに製麺・土産品販売から、太鼓販売、ラーメン店経営とビジネスの幅を広げてきた岩切さん。これから創業を目指す人に向けてのアドバイスを求めると、次のような答えを返してくれた。
「失敗を恐れずにチャレンジすること。どんなことにも前向きな気持ちで取り組むことは大事です。ただしチャレンジする前にやるべきことがたくさんあるように思います。やるべきことというのは、いろんな人に会い、話を聞くこと。新しい出会いこそ、ビジネスチャンスです」
 経営者として岐路に立たされたとき、新しい展開を模索していたとき、解決のヒントを与えてくれたのは、「人」であった。だからこそ、どんな人との出会いも大切にしたいし、相手が心を開いて話をしてくれるだけの、人間としての器の大きさ、心のゆとりをもっていたいと岩切さんは言う。
 「香港にラーメン店を出店する計画が持ち上がったとき、パートナーとして紹介されたハチバンさんは県外企業ですから、『響座の岩切』も『太鼓屋の岩切』も最初は知りません。どうしてラーメン屋が太鼓を売っているのだろうと見ていた部分もあったと思います。それをこれまでにやってきたこと、考えてきたことを一つずつお話し、自分がどういう人間なのかを知ってもらいました。結果、共感していただき、『岩切さんがやってきたラーメンの味をそのまま出してほしい』と言っていただきました」
 香港に出店する新店舗の名称は「香港元八九州ラーメン響」。ラーメン以外にも地鶏炭火焼、鶏五目めし、チキン南蛮などを揃え、宮崎色をアピールするという。宮崎で生まれた商品が海を渡り、未だ見ぬ人の元へ届く。それは、岩切さんにとって、和太鼓の奏でる響きが、聞く人の身体に伝わり、新たな喚起を呼ぶのと同じくらいに、エキサイティングな出来事なのかもしれない。

宮崎ラーメン 椛セ鼓屋 ラーメン店「響」本店
宮崎市大塚町にある椛セ鼓屋。
地下に太鼓練習場を備える
2005年5月にオープンした、
ラーメン店「響」本店(宮崎市大塚町)
土産品として開発された「宮崎ラーメン」。
麺に甘藷の粉、スープにハマユウポークと素材にこだわる
麺づくりから土産品の開発、太鼓販売、ラーメン店経営まで。利用者のニーズに応えながら、よりよいものを作りあげていく。 株式会社響・株式会社 太鼓屋 代表取締役社長 岩切邦光さんイメージ
[プロフィール]
1965年宮崎市生まれ。1984年酒造メーカーに入社。翌年社内の太鼓チームに入団、和太鼓に出会う。1991年に退社後、実家のうどん屋に従事。同年「橘太鼓・響座」を結成。1992年よりうどん・そばの製造・販売を始め、1994年「有限会社宮崎麺工房響」(現・株式会社響)を設立、1998年には和太鼓の製造・修理・販売を行う「有限会社太鼓屋」を設立(2000年に株式会社化)。株式会社響ではラーメン、地鶏炭火焼、冷汁など宮崎土産品の製造販売を行う事業と併せて、2000年からはラーメン店経営にも進出し、2001年シーガイア内にラーメン店「神楽屋」を、2004年に宮崎市に「宮崎ラーメン響」を開業する。2005年秋には株式会社ハチバン(本社・石川県)と業務提携し、香港にラーメン店を出店予定。


会社DATA 太鼓イメージ  
株式会社 響
〒880-0951 宮崎市大塚町乱橋4502-1
TEL.(0985)52-6181 FAX.(0985)52-6182
株式会社 響
〒880-0951 宮崎市大塚町大迫南平4420
TEL.(0985)54-0116 FAX.(0985)54-1206
http://www.taikoya.com/

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